【大物主大神】“ 祟り神 三輪山の御魂 “

大神神社雑記
大神神社

“ 三輪山の御魂 大国主神の和魂“

大神神社のご祭神は御名を「大物主大神」といわれ、別名では「大国主神」「大己貴神」と言われます。

「大国主神」は国造りの地神様で、神話の世界でいう出雲の神様です。

そして天皇家の祖神である天照大神に国を譲った方です。

今回は「大物主大神」の大神神社,三輪山関連の記事を抜粋します。

祟りの神としての大物主神

『日本書記』

10代祟神天皇の時代に災害が多く、その荒れた原因が天照大神と倭大国魂一緒に祀ってあるからだと考えた。当時の信仰は天津神と国津神と同じ場所で祀っている。この様な無礼を、祟りだと考え、祟神天皇はこの二つの神を別々の社に祀ることにした。崇神6(紀元前96)年勅命によって、皇女豊鍬入姫命が天照大神を笠縫邑に祭り皇女渟名城入媛命が大国魂神を山辺の里に祭り始めました。ところが、霊威が強く渟名城入媛命の髪の毛が抜けて、祀ることが出来ない
祟神天皇の時代に起こる災害を神淺茅原(桜井市)に行って、八十萬神に命神龜(占い)に行き、神が憑いた倭迹々日百襲姫命に神が、 「天皇、 どうして国が治まらないことを憂うのか? もしも私をよく敬い、祀れば、必ず国を平穏にしよう」と言い。 祟神天皇は「あなたは、どこの神ですか?」 神は「私は倭国の域内にいる神、大物主神という」教えの通りに奉り、それでも効果がありません。再び祈りました。
その晩、大物主神が夢に現れます。 「天皇、また憂いているな。 国が治まらないのは、わたしの意思です。我が子、大田々根子に私を祀らせれば、国は平穏になる。海外国も、自然と従うだろう」祟神天皇は大田々根子を見つけ出し、大物主神を祀らせた。香色雄(イカガシコオ)に命じて、物部に祭祀の八十平瓮(皿)を作らせまた、長尾市(ナガオチ)を倭大国魂神を祀る主としました。すぐに別に八十萬群神を祀りました。すると疫病が止みはじめました。

三輪山の大物主神

『日本書紀』

ある書では、 大国主神、別の名を大物主神、若しくは国作大己貴命、若しくは葦原醜男、若しくは八千戈神、若しくは大国玉神、もしく若しくは顯国玉神といいます。大国主神の子供は181神いました。 その大己貴命と少彦名命は心を一つに力を合わせ、葦原の中つ国の建設にあたられます。民や畜産の病気を治す方法や 穀物を守るまじない、で各地をまわります。かつて、大己貴命は少彦名命に言い、 「我ら造りし国は、良くなったのだろうか」 少彦名命は「良い所、よくない所があります 葦原の中つ国の建設 中ばで、少彦名命は常世郷に行きます。 国は未完成で大己貴命は国を回り、出雲の国に辿り着き、「今、この国を治めるのは、我だけ。 我と共に国を天下を治めるものがいないのか」 すると、神々しい光が海を照らしやって来た。 光は 「我はお前の幸魂奇魂だ。大和国の三諸山(ミモロヤマ)に祀るがよい」 それで宮殿を作り、三輪山を祀りました。

『古事記』

父母が娘の妊娠を怪しみ問うと「名前も知らない麗美な男性が毎晩、やって来て、一緒に住んでいるうちに、妊娠しました」 両親は真相を知りたく、娘に 「赤土を床にまき、糸巻きに巻いた長い麻糸を針に通して、男の着物のスソに刺しなさい」 と言い、翌朝見ると、麻糸は戸の鍵穴を通り、残った麻糸は三巻き(=三輪)でした。 糸をたどっていくと、三輪山の神社にたどり着きました。それでその男は大物主神と知ったのです。 この麻糸が三巻(=三輪)残っていたことから、その土地を「美和」と呼ぶようになりました。
関連記事 引用: 大物主 – Wikipediaja.wikipedia.org

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