【廣田神社】【伊弉諾神宮】# 24  “ 神聖なる神社 “

大鳴門橋スピリチュアル旅路
大鳴門橋

“  瀬織津姫に会える 『廣田神社』に来てよかった “

4回神社仏閣遠征は1115日〜1127日までの旅です。

兵庫〜淡路大島〜四国に渡りうどんを食べたいと思います。

生憎な天候で景色を楽しめるように出発します。

スピリチュアルへの道***旅編  #24   遠征④

廣田神社

天照大神荒御魂(あまてらすおおみかみのあらみたま)は伊勢の神宮内宮の第一別宮「荒祭宮」の祭神と同じである。廣田神社の戦前の由緒縁起には「祭神は瀬織津姫命」と明記されていたという。瀬織津姫命とするなら、祓戸大神の筆頭であるからして、罪や穢れを祓っていただき運気が上昇すること間違いなしなのである。
ホツマツタエでは天の巻本文の始まりで、イナサキ様とイサナミ様の長女ワカ姫
が生まれ、親の厄年の災いが起こらないように重臣カナサキ(住吉神)に育てられる。
そこで廣田宮(拾った神社)が登場する。
ワカ姫はアマテル大御神の姉姫で後にイサワの宮で一緒に過ごします。
アマテル大御神は男性の日の神でアメナルミチ帝王学をトヨケ大神、アマテルお爺様に学ぶ。
ワカ姫が穂虫を桧扇で扇ぎながら祓いの和歌を詠まれると穂虫がいなくなるのを見て、セオリツ姫30人の女性360回穂虫祓いの呪い歌を詠ませた。
セオリツ姫はアマテル大御神の妻神であり、穂虫祓いで登場する。
セオリツ姫はホツマツタエでは素性が明らかである。

廣田神社

所在地 兵庫県西宮市大社町7番7号

御祭神 天照大神荒御魂(撞賢木 厳之御魂 天疎 向津姫命)

創 建 神功皇后元年(201年)

御神徳

天照大御神は、八百万の神々の中で最高至貴とされる大御神です。生活の基である衣食住を整えられた国民生活の祖神です。皇室の御遠祖であり、日本国民すべての大祖神(おおおやがみ)であるその御神徳は多岐にわたりすべての人々を照らし、特に荒御魂である廣田大御神は、勝運合格、開運隆盛、子授安産、文学歌謡、厄災消除、交通安全、立身出世、罪障祓滅、先導開拓に大いに霊験あらたかなことなど、列挙すればまだまだ多くの御神徳がが古文書・古記録に多々記されています。 引用元:廣田神社(広田神社)公式サイト

荒魂について 廣田神社略記より抜粋

大正14年に時の皇后陛下が、全国の官国弊社に御奉納遊ばされたる「神ながらの道」の一節に「伊勢神宮の内宮様の御本宮には天照大御神様、即ち和魂の神様をお祀り申し上げてこざいます」又一節に「荒魂(あらみたま)とは和魂(にぎみたま)を『実現する魂』でございます」「宮中の賢所は、応神天皇の御時から天照大御神様として和魂のみを御祀り申し上げ、之に応じ給う荒魂は摂津の官幣大社廣田神社に御祀り申し上げてございます」と記されたるを見ても、如何に尊貴の大神なるかを窺ひ知るに足る。 引用元:廣田神社(広田神社)公式サイト

廣田神社 おすすめ

おすすめポイント
  • ひとつひとつ違う鳥居
  • 神社の雰囲気が違う
  • 御祭神が天照大神荒御魂
  • 元の御祭神が瀬織津姫命
  • 朝の神事がありがたい

 

御朱印
御朱印

御朱印

【廣田神社】#24  20201120

四国の金刀比羅宮、淡路大島の伊弉諾神宮に訪問する為、西宮神社と廣田神社で迷っていました。

西宮神社に向かったのですが交通事情で自然に廣田神社に変更しました。

8時になり廣田神社参拝に向かいます。

鳥居

鳥居

雨がまだ降り一番目の鳥居をくぐります。

鳥居

鳥居

二番目の鳥居は大神神社とはまた姿が違います。

鳥居

鳥居

三番目の鳥居は又変わった形です。

ここまで来ると雨が上がります。

御神水で手水等、掃除をしている女性がいて拝殿に向かいます。

スマートに見える神社が新鮮に映ります。

神社では8時から準備が始まる様子で邪魔をしているかもしれません。

拝殿にて参拝、ひと通り参拝を終え、御朱印を頂きます。

御神水で手水をしているとドンドン太鼓の音神主様が出て来て参道を歩いて本殿に向かいます。

廣田神社

廣田神社

拝殿の本殿側で朝の神事が始まる様です。

天照大神荒御魂様に呼ばれた事に感謝しながら見守ります。

一般の女性が2人慣れた様子で神事に立ち会う様子です。

私も拝殿から20m手前から見届けます。

神事の始まり、神主様が祭壇に向かう時、いい風が吹きますね。

雨も降っていますので浄化雨が合わさって晴れやかな気分になりました。

朝から良い神事が見れ、早起きは三文の徳でした。

有難う御座いました。

明石海峡大橋

明石海峡大橋

伊弉諾神宮  淡路國一之宮 旧官幣大

御由緒

御由緒

所在地 兵庫県淡路市多賀

御祭神 伊弉諾大神 
    伊弉冉大神

御利益 縁結 延寿 子宝 子育

ご由緒  古事記・日本書紀には、国生みに始まるすべての神功を果たされた伊弉諾大神が、御子神なる天照大御神に国家統治の大業を委譲され、最初にお生みになられた淡路島の多賀の地に「幽宮」を構へて余生を過ごされたと記される。その御住居跡に御陵が営まれ、至貴の聖地として最古の神社が創始されたのが、當神宮の起源である。地元では「いっくさん」と別称され日之少宮・淡路島神・多賀明神・津名明神と崇められている。本殿の位置は、明治時代に後背の御陵地を整地して移築されたもので、それ以前は、禁足の聖地であった。御陵を中心として神域の周囲に濛が巡らされたと伝え、正面の神池や背後の湿地はこの周濛の遺構という。 建物や工作物は、明治九年から同二十一年に官費で造営されたものが殆どだが、神輿庫及び東西の御門は、旧幕時代の阿波藩主の寄進による。 境内地は、約一万五千坪。沖積地にあって天然記念物の大楠など照葉樹林に覆はれ、四季を彩る草木が繁茂する日本最古のお社である。江戸時代の地誌によれば、二丁四方の社地を領したとあり、広大な神域であった。引用元:伊弉諾神宮